Connect Story : 誰かの手から手へ。受け継がれる物語。
レコードを掘るように、器を掘る。ストリート育ちのカルチャー・ディガー 坂野高広さんと、ディープアジアの話。
ストリート、音楽、デザイン。
ずっと西洋カルチャーのど真ん中で生きてきた人が、40代で突然アジアにハマる。
しかも、山岳民族の刺繍とか、70年代のベトナムの庶民のお皿とか。
「自分でも、びっくりです」
そう笑いながら話すのは、アジアンヴィンテージストア〈tay〉と〈333〉を手がける坂野高広さん。
音楽とデザインの最前線を走ってきた彼が、なぜいま、アジアの手仕事を掘り続けているのか。その理由を辿っていくと、意外なほど一本の線で、すべてがつながっていた。
ニューヨーク、レコード会社、そして中目黒
坂野さんは、ニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツ(SVA)出身。
キース・ヘリングやKAWSも在籍していた、あのSVAだ。
卒業後は、イタリアのレコード会社IRMA RECORDSのNY支社で働く。DJ系とか、ジャズラウンジを作っているレーベル。
28歳頃に帰国後、日本にIRMA RECORDSの拠点を立ち上げ、音楽レーベルとして活動を継続。
音楽制作だけでなく、Tシャツ制作、ライブの演出、ヴィンテージポスターの販売など、音楽を起点にしたカルチャー全体の編集へと表現は拡張。中目黒に拠点を移した頃には、仕事の8割がデザインに。
現在は音楽部門を分社化し、初台のオフィスがデザインとリテールの基地になっている。
アジアとの出会い|40代、価値観の転換
転機は40歳前後。デザイナー仲間と初めて訪れたベトナムだった。
リゾートや観光とは異なる、街中で息づく手仕事。
器、刺繍、銀細工。それらは「工藝品」ではなく、人々の生活の中から必然的に生まれたものだった。
とりわけ心を掴まれたのが、1970年代まで使われていた庶民の器「ソンベ焼」。
ちょっとフレンチコロニアルの感じがあったり、中国の影響とか、ちょっと雑多で。
戦争と近代化によって姿を消し、アンティークとしても評価されていなかったその存在は、レコードカルチャーでいう「Rare Groove」そのものだった。
当時はあまり評価されてなかったけど、今の視点で見ると、すごく美しい。
しかも、もう窯元もなくなってて、どんどん消えていく。
「これ、掘らなきゃいけないやつだ、って」
この“掘る感覚”が、坂野さんを一気にアジアへと引き込んでいく。

1970年代まで、ベトナムの庶民が日常使いしていたソンベ焼。当時は評価されなかったが、いま見ると、驚くほどモダンだ。
ベトナム北部の人々の生活を彩ってきた、40年ほど前のオールドバッチャン焼。
333|モダンアジアのエントリーポイント
「男の自分がここまでハマるなら、これは伝えられるんじゃないかって思った。かわいいだけじゃない何かがあるな、って」
「当時(2017年頃)のアジア雑貨店って、カラフルでチープで安い、みたいなのが多かったじゃないですか。そうじゃない見せ方、絶対できると思ったんですよ」
そうして生まれたのが、学芸大学の〈333(バーバーバー)〉。
現在のベトナムやタイの若いクリエイターたちは、驚くほど自由で、感覚がとにかく尖っている。混沌と洗練が同時に存在するエネルギーは、ストリートカルチャーそのもの。
「心がヒリヒリするようなやつをやりたいなと思って」
〈333〉は、その熱量を、日本で伝える場所でもある。


ベトナム語やタイ語デザインのオリジナルTシャツもあれば、若手クリエイターの雑貨もある。混沌と洗練が同時に存在する、〈333〉の空気感。
Tay|ルーツを掘る場所
〈333〉を続けるなかで、知識は増え、見える景色は確実に変わっていく。そして次第に、もっとルーツを見せる場所が必要だと感じるようになる。
〈tay〉はベトナム語で「手」という意味。
手で作られ、手から手へ受け継がれてきたもの。
山岳民族の手刺繍、銀の装身具、ヴィンテージの器、民族衣装の一点ものなど、〈tay〉ではルーツとヴィンテージ性に特化したアイテムを扱っている。
空間はミニマム。
コンクリートむき出しのインダストリアルな都会の箱に、フォークロアを詰め込む。
「モダンなフォークの見せ方をしたかったんです」

コンクリートの箱に、フォークロアを詰め込む。什器は、フランスのアンティークと昭和初期や大正期の日本の家具。西欧、東南アジアと日本の民芸文化が混ざり合う空間。

ムオン族の手びねりで作る壺、ホレ族の手彫り像の置物やタイ族の木製カウベル、ミャンマーの竹細工。
フランス統治時代の美術教育から生まれ、ベトナムの伝統技術とフランスのアート性が融合した陶器「Biên Hoà (ビエンホア)」。エキゾチックなモチーフ、柔らかい釉薬、彫刻的で装飾性の高いビエンホアは、ヨーロッパを中心に世界中のコレクターから「東洋のアールデコ陶器」として評価されている。
買い付けは、“モノ”より“空気”
買い付け先は、中国、ベトナム、タイ、ラオス、ミャンマー。
SUVで片道6~7時間かけて、山岳民族のマーケットへ向かう。
観光客が来ない場所で、彼らが普段使っているものを見る。時には、彼らが身につけているものを譲ってもらうこともある。
「物を買うというより、空気を嗅ぎに行く感覚。彼らが歩いてる道とか、食堂で飯食ってる雰囲気とか」
身につけているものを譲ってもらう代わりに、野菜や果物も一緒に買う。
彼らの生活にきちんと還元する。そうすると、次の扉が開いていく。
小さな経済、小さな関係。でも、確かな信頼が積み重なっていく。
山岳民族が利用するローカル食堂。パクチーやミントなどの山盛りフレッシュハーブや魚醤のボトル、赤いプラスティックの箸立てなど、情緒ある空気感。

タイとミャンマー国境付近のマーケットでお芋を売る山岳民族の女性。観光地ではない場所で、彼らの“ふだん”に触れる。
モン族バティックの防染作業風景。手紡ぎ手織りの麻布に、溶かした蜜蝋で細かい幾何学模様を描いている。描画を施した生成りの布を、天然の藍で染めると、蝋が染料を弾くため模様が浮かび上がる仕組みだ。傍らに、藍で染め上げられた布が掛け干しされている。
ヴィンテージを“今、着られる形”に
山岳民族の衣装を黒く手染めし、サイズを整え、再構築するBLACK AND RE-SEWシリーズ。
そのままでは着られないけど、仕事としてはすごく美しいものを、ヴィンテージの魂を残しつつ、現代の装いとして成立するよう現代の感覚で編集している。
「デニムに普通に合うんですよ」
ファッション好きが反応する理由は、そこにある。
山岳民族の伝統衣装が持つ美しさや技術、経年してきた年月を、tayらしくモダンにアップデートしたオリジナルレーベル「BLACK AND RE-SEW」

ヤオ族、ミャオやモン族、プイやイ族など、様々な地域の山岳民族のヴィンテージ衣装。そのままでは着られない。でも、仕事としては圧倒的に美しい。ヴィンテージを“今”に接続するための再構築。

もとはアカ族の帽子装飾だったホースヘアに、タイ族のヴィンテージシルバーピアスやカレン族のシルバーなどを組み合わせた オリジナルネックレス。
消えゆく手仕事について
手刺繍、銀細工、民族衣装。それらが消えていく理由はシンプルだ。
経済として成立しない。
1年かけて作ったものでは生活できない。結果、簡易的なお土産向け商品へと変わっていく。
こういう手仕事のヴィンテージは、本当に消えていく。
だからこそ坂野さんは、集め、記録し、美しく紹介する。それが、この店をやる意味だ。
「消えゆくものだからこそ、今、残す」

タイ北部で暮らすアカ族のファミリーから譲ってもらったという、ヴィンテージのシルバーバングル。

繊細な刺繍やスタッズが施された、北ベトナム・モン族のヴィンテージ布。経済として成立しなくなった手仕事。

タイ北部・チェンマイでアトリエを営む、山岳民族のヴィンテージ布コレクター Praneeさんとの企画展「古布市」。
今後のこと|食文化という次の扉
次に気になっているのは、食。
「山岳地域の素朴な料理を、“おばんざい”的に提供できる場所をつくりたい」
彼らが日常で食べているもの。
土地と結びついた料理を、器と一緒に伝える。
器と食、生活と文化。
まだ構想段階だが、これまでの延長線上にある未来だ

ストリートから、手仕事へ
音楽も、ストリートも、山岳民族の手仕事も。すべては生活から生まれたカルチャー。全部「手」から生まれたもの。
「そこが地続きだから、ここまでハマったんだと思います」
アジアの手仕事は、「守るべきもの」として語られることが多い。
けれどこの取材で感じたのは、それが決して過去の遺物ではなく、いまのストリートやユースカルチャーと地続きで呼吸しているという事実だった。
坂野さんがやっているのは、保存ではない。翻訳であり、循環だ。
小さな経済、小さな関係、でも確かな手触り。
手から生まれ、手で受け継がれる。
その営みが、カルチャーをつくっていく。
プロフィール
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坂野高広
ベトナムやタイなどのアイテムを中心としたセレクトショップ〈333〉をオープンした後、東南アジアの民藝や古道具などを中心に扱うヴィンテージストア〈tay〉を初台に、ホーチミン市内にベトナム食器を中心に扱うモダンベトナミーズ アンティークストア〈SÔNG BÉ〉をオープン。また、空間デザイナーとしても多数のクライアントワークを手がけている。
