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200年の伝統と東京の感性が交差する場所。『香雅堂』二代目の店主・山田悠介さんが開く香文化

200年の伝統と東京の感性が交差する場所。『香雅堂』二代目の店主・山田悠介さんが開く香文化

江戸寛政年間に創業し、200年以上の歴史を持つ京都の老舗『山田松香木店』。その次男である初代が東京に店を構えてから43年、麻布十番の地で今のライフスタイルに寄り添う香りの文化を届けているのが『香雅堂』だ。 長い歴史の中で育まれてきた日本の香文化を現代に伝えているのが、二代目の店主・山田悠介さん。香りを潜在的に必要としている人に届けることを目指す山田さんに、文化発信の拠点となる麻布の店舗で話を聞いた。 「溢れるように」導かれた二代目の道 もともと大学卒業後はIT企業で働いていたという山田さん。『香雅堂』を手伝い始めたのは、2011年、東日本大震災があった年のことだった。 「両親から『店を継いでほしい』と言われたことは一度もなかったんですよね。ただ、学生時代にここで1年ほどアルバイトをしていた時期があり、また幼い頃から父が香木を割って焚く香りがいつも側にあり、働く姿も近くで見ていたので、言語化できないような小さな積み重ねが心の中に溜まっていたのかもしれません。あるときコップから水が溢れるように自然と店で働こうと思ったんです」と当時を振り返る。 『香雅堂』のルーツは、香道の本場である京都にある。200年続く『山田松香木店』が本家にあたる。 「伝統を守っていく京都に対して、僕らはその本質を踏まえ、リスペクトを持ちながらもお香の世界を開いていく存在でありたいと考えています。そういった役割分担があることで、文化的な広がりが生まれるんじゃないかと思うんです」とその矜持を語ってくれた。   「聞く」ことで完成するゲーム、そして絶滅危惧種のタイムカプセル   そもそも香道とは、室町時代に成立した日本の伝統的な芸道。香木を間接的に加熱し、立ち上る香りを「嗅ぐ」のではなく「聞く」と表現して、自らの精神性や情景を鑑賞する。   体験香席の様子。 「茶道や華道と同じように流派があり、お作法が決められている一方で、実は非常に豊かな遊びの要素を持っています。みんなで集まっていくつかの香りを聞き分け、『何番目の香りと何番目の香りが一緒だったか』を当てるゲーム性がある。仕組みさえ分かれば誰でも直感的に楽しめる奥深さがある芸道です」     この香道において主役となる「香木」が、今、とりわけ希少なものとなっているという。 「香木はジンチョウゲ科の樹木が傷ついた際、自らを防御するために分泌した樹脂の塊です。それが50年から100年という時間をかけて変化することで、あの独特な芳香を放つようになります。その性質上、ハイエンドでハイクオリティな天然香木に関しては自然にできたものを使うしかありません。需要があるからといって、おいそれと作ることができるものではないんです。香木店である僕らでさえ、すでに40年前から新しい仕入れのルートが立っていない状況です。そのため現在は0.2gや0.4gといったごく少量の単位で販売しており、月にどれくらいの量を売るかも制限していかないと、一瞬で全部売れてしまう、まさに絶滅危惧種のような存在なんです」     香道にはお道具も欠かせない。一階奥のスペースには美しい香道具が、まるで美術館のように展示されている。   歴史を紐解けば、飛鳥時代に日本へ渡来して以来、宗教的な要素や精神性とも深く結びついてきた香木。平安時代には『源氏物語』に描かれるように貴族たちが衣服に香りを焚き染め、戦国時代には武将たちが自らを鼓舞し、非日常へのスイッチを入れるために香りを求めた。目に見えない煙と香りは、いつの時代も人々に特別な時間を提示してきたのだ。 この極めて希少な香木を見極めるため、山田さん自身も日々香木の鑑定も行っている。 「香木には白檀、沈香、伽羅といった種類があり、そのなかで香道では香りを産地や特徴から6つに分類するという区分けもあります。お寺やご自宅にある香木をお持ちいただき、そのどれに当たるかを見極めていくというお仕事です。実際に焚いてみて、香りを聞いて、『緑系の伽羅だな』といったように色で表現したり、香りの酸味、甘み、苦味の強さなど、時間を追った変化も見ていきます」 鑑定を通して客観的に香木と向き合ってきた山田さん。最近は、いろいろなアーティストとの交流などを通して、少し香木との向き合い方に変化があったのだそう。 「香木はナチュラルにできるものなので一つひとつ香りのニュアンスが違います。『この香木はこういう香り』とある程度目星をつけて鑑定しているのですが、ときどき『こんな香りをしていたの?』とハッとさせられるようなこともあるんですよね。あるとき、そういう香木の持つ特性について話していて、『香木をもっと特別なものだと思っていいんじゃないですか』と言われたことがありまして。たしかに今まで、香木をフェアに見ようとしすぎて、香木の持つ特別な魅力に向き合っていなかったのかもしれないと。最近はそういう主観も大切にしながら香木を見つめていきたいなと思うようになってきています」     入口を広げ、暮らしと文化をつなぐ「交差点」へ   香木が希少となり香道がさらに遠い存在になりつつある今、山田さんはそのハードルをあえて下げ、現代の暮らしに取り入れる提案を続けている。1階エントリーコーナーにはスティック香や匂い袋など生活になじむアイテムを取り揃え、奥のコーナーでは香木や本格的な香道具を実際に見ていただけるという二部構成。2階に設えられた和室のスペースでは、香道の入り口になるようなカジュアルなワークショップも開催している。 特にコロナ禍で家にいる時間が増えたことを契機に、家で香りを楽しむ文化は確実に拡大しているという。 「コロナでおうち時間が増えたことで、お香を見直していただいた印象があります。フレグランス系のトレンドを一通りやり尽くした感があったところで、スティック香という形状が違うだけで、同じ香りのはずなのに、そこから受け取れる解像度が変わってくるというところも楽しんでいただいているようです。火をつけて煙が立ち上るというビジュアルも含めて、気持ちを切り替えるスイッチとして楽しむ人が増えているんでしょうね」  ...
葉山の幸福なデスティネーション。オーナー桐島ローランドさんが語る偶然と縁が導く「Felicity」での新たな挑戦

葉山の幸福なデスティネーション。オーナー桐島ローランドさんが語る偶然と縁が導く「Felicity」での新たな挑戦

カメラ、バイク、CG。常にカルチャーの最前線を「体当たり」で切り拓き、趣味を究めて仕事にしてきた人、桐島ローランドさん。そんな彼がいま、情熱のすべてを注いでいるのが、神奈川県・葉山のロードサイドに佇むカフェ『Felicity(フェリシティ)』だ。 「縁に導かれた偶然で」と笑うローリーさん。ニューヨーク、東京、そして世界中の砂漠を走り抜けてきた彼が、なぜいま、葉山でコーヒーを焙煎しているのか。その経緯を辿ると、そこには「縁」という名の、不思議な一本の線がつながっていた。     葉山への移住、そしてバイクとつながる再会     移住のきっかけは、コロナ禍という予期せぬ天災だった。 「もともとは息子を連れてアメリカに住むつもりで家も買っていたんです。でも、パンデミックで計画が白紙になってしまった」。 導かれるように姉の桐島カレンさんが住む葉山へと拠点を移したローリーさん。当初はアメリカから送り返される荷物を保管する倉庫を探していた。そこで出会ったのが、この物件だった。 そこは、2023年まで40年近く続いた伝説的なカスタムバイクショップ『幸福商會』の跡地。70年代、中国製の「幸福」というヴィンテージルックなバイクの輸入から始まり、後に英国車カスタムの聖地となった場所だ。 昔からトライアンフなどの古いバイクが好きだったローリーさん。『幸福商會』が本牧にあったことは知っていたが、移転先が葉山だとは知らなかったのだという。 この場所を訪れた瞬間、「倉庫にするにはあまりに惜しい空間」だと感じた。この場をいかにして活かすかを考えた結果、自分で購入しカフェにするという決断に至ったのだと。   幸福を意味する英語「Felicity」を店名に冠すことで、かつての聖地への敬意を払い、ローリーさんの新しい挑戦が始まった。 コーヒーに宿る「現像」の再現性 「カフェをやりたかったわけではない」と言いながらも、一度足を踏み入れれば徹底的に突き詰めるのがローリー流だ。そのこだわりは、カフェの心臓部である焙煎機に現れている。導入したのは、コーヒー界のロールスロイスと称されるドイツ製の銘機「Probat(プロバット)」。 「コーヒーをやっている人がみんな夢見るマシンです。思い切って現金で買いました」というエピソードに、並々ならぬ覚悟が滲む。   ローリーさんにとって、焙煎は「写真の現像」と同じ感覚だという。「カメラマンは温度や時間にシビア。焙煎も現像や料理と似ていて、データをもとに味を追求していく。僕のマシンはデータドリブンで、一度成功した焙煎カーブを完璧に再現できる。でも、全く同じ数値なのに味が変わることがある。そこが魔物であり、ハマる理由なんです」とコーヒーについて語るときのローリーさんは少年のように眩しい表情をする。 現在、11種類の豆を自ら焙煎。とりわけ力を入れているのがブラジルだ。高品質なハンドピックの豆を、素材の甘みが最も引き立つ「シティロースト」で仕上げる。   エスプレッソマシンはイタリア最高峰といわれるヴィクトリア・アーデュイノ社のブラックイーグル・マーヴェリックを導入し、こだわりの一杯を提供 「良い豆をダークにしすぎるのはもったいない。芯まで熱を入れ、いかにえぐみを出さずに甘みを抽出するかを研究している」。その語り口は、職人のそれである。     デスティネーションとしてのキラーコンテンツ   駅から遠く、海も見えない。そんなロードサイドの立地で、いかに人を呼ぶか。ローリーさんが仕掛けたのは、単なる飲食店を超えた「デスティネーション(目的地)」としての体験だ。   試行錯誤を重ねて編み出したレシピとこだわりの材料を使った定番メニュー「サーモンワッフル」。 新商品のラズベリーデニッシュラテ。   「わざわざここに来る理由=キラーコンテンツが必要なんです。火曜の朝はピラティスをやったり、ゲスト講師をお呼びして、写真講座や焙煎教室、編み物教室、個展もやっています。やるなら徹底的に一番いいものを集めています」  ...
レコードを掘るように、器を掘る。ストリート育ちのカルチャー・ディガー 坂野高広さんと、ディープアジアの話

レコードを掘るように、器を掘る。ストリート育ちのカルチャー・ディガー 坂野高広さんと、ディープアジアの話

ストリート、音楽、デザイン。ずっと西洋カルチャーのど真ん中で生きてきた人が、40代で突然アジアにハマる。しかも、山岳民族の刺繍とか、70年代のベトナムの庶民のお皿とか。「自分でも、びっくりです」そう笑いながら話すのは、アジアンヴィンテージストア〈tay〉と〈333〉を手がける坂野高広さん。音楽とデザインの最前線を走ってきた彼が、なぜいま、アジアの手仕事を掘り続けているのか。その理由を辿っていくと、意外なほど一本の線で、すべてがつながっていた。 ニューヨーク、音楽レーベル、そして中目黒 坂野さんは、ニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツ出身。キース・ヘリングやKAWSも在籍していた、あのSVAだ。卒業後は、DJ系やジャズラウンジを手がけるイタリアのレコード会社IRMA RECORDSのNY支社で働く。28歳頃に帰国後、日本にIRMA RECORDSの拠点を立ち上げ、音楽レーベルとして活動を継続。音楽制作だけでなく、ライブの演出、Tシャツ制作、ヴィンテージポスターの販売など、音楽を起点にしたカルチャー全体の編集へと表現は拡張し、中目黒に拠点を移した頃には、仕事の8割がデザインに。 現在は音楽部門を分社化し、初台のオフィスがデザインとリテールの基地になっている。 アジアンカルチャーとの出会い 転機は40歳前後。デザイナー仲間と初めて訪れたベトナムだった。 リゾートや観光とは異なる、街中で息づく手仕事。器、刺繍、銀細工。それらは「工藝品」ではなく、人々の生活の中から必然的に生まれたものだった。 とりわけ心を掴まれたのが、1970年代まで使われていた庶民の器「ソンベ焼」。ちょっとフレンチコロニアルの感じがあったり、中国の影響とか、ちょっと雑多で。 戦争と近代化によって姿を消し、アンティークとしても評価されていなかったその存在は、レコードカルチャーでいう「Rare Groove」そのものだった。 当時はあまり評価されていなかったけれど、今の視点で見ると、すごく美しい。しかも、もう窯元もなくなっていて、どんどん消えていく。 「これ、掘らなきゃいけないやつだ!って」この“掘る感覚”が、坂野さんを一気にアジアへと引き込んでいく。   1970年代まで、ベトナムの庶民が日常使いしていたソンベ焼。   ベトナム北部の人々の生活を彩ってきた、40年ほど前のオールドバッチャン焼。 333|モダンアジアのエントリーポイント 「男の自分がここまでハマるなら、これは伝えられるんじゃないかって思った。かわいいだけじゃない何かがあるな、って」「当時(2017年頃)のアジア雑貨店って、カラフルでチープで安い、みたいなのが多かったじゃないですか。そうじゃない見せ方、絶対できると思ったんですよ」 そうして生まれたのが、学芸大学の〈333(バーバーバー)〉。 現在のベトナムやタイの若いクリエイターたちは、驚くほど自由で、感覚がとにかく尖っている。混沌と洗練が同時に存在するエネルギーは、ストリートカルチャーそのもの。 「心がヒリヒリするようなやつをやりたいなと思って」 〈333〉は、その熱量を、日本で伝える場所でもある。   ベトナム語やタイ語デザインのオリジナルTシャツもあれば、若手クリエイターの雑貨もある。混沌と洗練が同時に存在する、〈333〉の空気感。 Tay|ルーツを掘る場所 〈333〉を続けるなかで、知識は増え、見える景色は確実に変わっていく。そして次第に、もっとルーツを見せる場所が必要だと感じるようになる。 〈tay〉はベトナム語で「手」という意味。手で作られ、手から手へ受け継がれてきたもの。 山岳民族の手刺繍、銀の装身具、ヴィンテージの器、民族衣装の一点ものなど、〈tay〉ではルーツとヴィンテージ性に特化したアイテムを扱っている。 「モダンなフォークの見せ方をしたかったんです」 内装はミニマル。コンクリートむき出しのインダストリアルな都会の箱に、フォークロアを詰め込む。 什器は、フランスのアンティークと昭和初期や大正期の日本の家具。西欧、東南アジアと日本の民芸文化が混ざり合う実に現代的な空間だ。 ムオン族の手びねりで作る壺、ホレ族の手彫り像の置物やタイ族の木製カウベル、ミャンマーの竹細工。  ...